川端康成について
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湯本館と川端康成
「伊豆の踊子」は大正11年、私が22歳の7月、伊豆湯ヶ島温泉の湯本館で書いた、「湯ヶ島の思い出」という107枚の草稿から、踊り子の思い出の部分だけを大正15年、26歳の時に書き直したものである。
「伊豆の踊子」と旅をした翌年、私は神経痛をわずらって、湯ヶ島の湯本館へ療養に行った。
湯本館の湯は冷える方で、神経痛には向かないと後で知ったが、その時は1週間ほどで治った。
それから昭和2年まで10年の間、私は湯ヶ島にいかない年はなく、大正13年に大学を出てからの3・4年は湯本館での滞在が、半年あるいは1年以上に長びいた。
「文藝時代」のころは、私は東京に定まった家も宿もなくて、湯本館で暮らす方が多かったのである。若い身でよく山間のさびしい宿にいられたものと思う。
しかし、「この湯ヶ島は今の私に第2の故郷と思われる。・・・ひきよせられるのは郷愁と異ならない。」と、私は「湯ヶ島での思い出」にも書いている。
「去年の春、私が引き上げる時宿のおばあさんは、ひとり息子を遠い旅にやるようだと涙を流した。しかし私は秋にまた帰って来た。」
川端康成『伊豆の踊子・温泉宿』岩波文庫 2003年 あとがきより
川端康成とは
川端康成(1899年~1972年)は大正から昭和にかけて活躍した作家で、代表作『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』など「日本の美」を表現した作品を世に送り出した。
1968年に、日本人で初めてノーベル文学賞受賞した人物としても知られる。
『伊豆の踊子』について
湯本館で川端康成が執筆した短編小説『伊豆の踊子』とは、川端が19歳の時に伊豆を旅した実体験をもとに書いた初期の代表作。
孤独や暗澹とした気持ちから逃れるため伊豆へひとり旅に出た青年が、旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く物語。
歪んでいた青年が、素朴で清純無垢な踊子との関わりにより解きほぐされていく過程と、彼女との別れまでが描かれている。